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■イラン・イスラーム共和国における資料調査
[期間] 2010年9月10日から10月5日
[国名] イラン・イスラーム共和国
[出張者] 阿部 尚史(東京大学グローバルCOE 特任研究員)
[概容]
報告者は、本調査においては、主として19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イランで執筆、出版された、財務・簿記術関連史料の収集を行った。そのうち、日本に複写を持ち帰った史料としては、写本の複写3点、石版本の複写8点である。この他、関連する文書についても、複写を招来した。
■国立図書館Ketabkhane-ye melli:
主としてカージャール朝末期(19世紀末から20世紀初頭)のイランで、石刷出版された簿記術関連文献(Bahr al-javaher, Ahsan al-moraselat, Moraselat va siyaq) の調査を行った。
また、同書館では、イラン研究部門のジャァファリー・マズハブ氏とイランにおける簿記術研究とそれらを用いた経済史研究の現況について意見交換を行った。
氏によれば、現時点、イランにおいては、スィヤーク書体に関する研究としては、主として紹介的な研究、また判読に重点が置かれており、スィヤークで書かれた財務関連資料を歴史資料として利用した、経済史、社会経済史、財政史などの分野はいまだに未開拓であるという。報告者も常々そうした問題点を感じていた。財務簿記術史料を用いた研究に関するワークショップの開催を打診されたものの、メッリー図書館の研究部門の日程や報告者の帰国日程と折り合いがつかなかったため、この件については延期となった。
■議会図書館 Ketabkhane-ye majles-e showra-ye Eslami
19, 20世紀の簿記術に関する写本および石版本(Bahr al-javaher, Ta'limat-e ebteda'i, Kholasat al-siyaq)の調査を行った。調査の中で、同図書館には、Bahr al-javaherの写本が大量に所蔵されていることが明らかになった。
簿記術指南書の調査に加えて、イランの財務資料において、どのように簿記術が活用されているかを確かめるために、同図書館に最も体系的に所蔵されている、19世紀末の、アゼルバイジャン地方の徴税台帳の調査も同時に行った。
■国立公文書館 Sazman-e asnad-e melli
国立公文書館においては、主に19世紀後半のアゼルバイジャン地方に関連する文書史料、特に財務に関する史料を調査した。
同文書館の研究部門に所属するフーリエ・サイーディー女史(イラン近代史)と面会し、昨年および今年に女史が出版した文献をもとに、イラン史における文書史料活用の可能性について意見交換を行った。
また、同文書館の目録作成部門に属するアリー・キャリーミヤーン氏(文書研究・ホラーサーン地方史)とも面会した。氏は、スィヤーク文書の読解に優れる文書研究者である。現在、ホラーサーン北部ボジュヌールド地方の人口調査台帳の判読・分析を終え、印刷中とのことであった。この他にも、19世紀のヘラートの帰属問題に関する史料集も完成させ、現在、出版許可を待っているとのことであった。報告者は、実際にその草稿の閲覧を許され、ざっと目を通したところ、財務関連文書も利用した労作であることが分かった。
報告者のスィヤークの先生でもあるモフセン・ルースターイー氏(文書研究、スィヤーク文書)とも面会し、氏が出版を準備している『スィヤーク研究入門:歴史・行政文書40通の判読』について説明を受けた。タイトルからも分かるように、本書は判読を重視しており、スィヤーク独特の術語を判読するときの手引きとなることを目指している。同書が出版されれば、実際にイランのスィヤーク文書を用いた研究を遂行するにあたって、有用なリファレンスとなろう。
■テヘラン大学付属図書館 Ketabkhane-ye Daneshgah-e Tehran
同図書館においては、カージャール朝中期(1839/1255年)に執筆された、Qava'ed al-siyaqを閲覧した。同書は、簿記の実務に即して、諸項目・用語を説明する。他の簿記術関連史料とは若干傾向の異なる資料であり、その点でも興味深い研究対象であることが分かった。
この他、財務関連文書・簿記術、スィヤークについて個人的に研究を進めているバフマン・バヤーニー氏とも面会し、氏が所蔵する19世紀末の簿記術に関する石版本(Sahl al-Hesab fi 'elm-e siyaq va mokatabat-e shar'i o 'orfi)の複写を許された。同書は、報告者がイラン国内の公立図書館において調査しなかった作品であり、私蔵本から複写できたことは幸いであった。
以上、今回、調査の過程で明らかになった、2点について概括しておきたい。
まず第一点として、19世紀後半に執筆されたBahr al-javaher('Abd al-Vahhab Shahshahani al-Hoseyni al-Esfahani著)いう簿記術史料が、写本、石版本ともに、大量に存在する点である。所蔵されている点数、また写本、石版本のヴァリエーションに注目するならば、この書籍が19世紀後半、いわば、スィヤークの教科書として第一等の地位を占めていたと理解することができる。また、写本間、石版本間の移動もかなり見受けられるので、可能な限り多くのサンプルを集め、その異同を調査することも、当時の簿記術を理解するために、一つの手法ともなるだろう。
第二点としては、19世紀後半の簿記術は、簿記術として独立して存在するというよりも、文章作法などとひと括りの分野として見なされていた点である。今回の調査で調査・蒐集したTa'limat-e Ebteda'iやAhsan al-moraselat va Ahsan al-siyaq、Sahl al-Hesab fi 'elm-e siyaq va mokatabat-e shar'i o 'orfiといった史料は両者を包含している。いわば、文章術と算術の両方を一冊にまとめたと言える。このことは、オスマン朝支配領域とは異なり、スィヤークが当時、一般的な算術的な知識として市井にまで広く受容されていたことを物語る。
滞在中、複写した石版本のうち、Sahl al-Hesabを例に、やや詳しく読解を進めたところ、同書は子供に教えることを目的とし、現在の教科書と極めて類似した形式をとる。例えば、第一節の説明が終わったら、練習問題が用意されており、一方的な説明だけでなく、生徒の知識の定着に留意していたことが確認できる。
また、報告者は、イラン人の知人(現在40歳前後)から、彼の祖父は、イランのタブリーズ市にて商人(主に茶を扱っていたという)であり、基本的にスィヤーク体で帳簿をつけていた、という(著者も実は、その帳簿を閲覧したことがある)。現存するスィヤーク教本的資料と、こうした証言は一致する。
ただ私見では、上記のような教科書的なテキストは、スィヤーク、算術の初歩を知り、当時の初等教育状況を知る上では有益なものの、同時代の政府や州の台帳等に記されている高度な簿記術を解明するには不十分であると考えられる。恐らく初歩的な算術と財務官僚が用いた簿記術の間を埋めるテキストとして、最初に紹介したBahr al-javaherのような史料が有用となると考えられる。今後、取得した諸写本と数種類の石版本を比較しながら、詳しく読解を進めたい。
イランにおいて、スィヤークが幅広く受容されていたことは間違いないが、この問題についての具体的な研究は全くなされていない。今回蒐集した史料は不完全であるにせよ、上記の問題を探求する上でも、重要な意義をもつものと考えられる。今後、これらの史料を調査することによって、19世紀後半のイランにおける財務・簿記術の在り方の解明に加え、イランでは未開拓である財政史研究への糸口になることが期待される。
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