■東文研セミナー「ブルガリアにおけるオスマン古文書史料について」報告

[日時] 2009年2月24日(火) 16:00-18:00
[会場] 東京大学東洋文化研究所
[講演] 東文研セミナー「ブルガリアにおけるオスマン古文書史料について」(東京大学東洋文化研究所と共催)
[報告者] エヴゲニー・ラドゥシェフ(トルコ共和国、ビルケント大学)
[使用言語] トルコ語(通訳なし)

[概要]
エヴゲニー・ラドゥシェフ氏は、ソフィアの国立図書館東洋学部門の責任者として、 長年オスマン朝の文書史料を利用した研究に従事し、現在、トルコのビルケント大学 で教鞭をとっている。ブルガリアの科学アカデミーで博士号(歴史学)を取得し、専 門は、オスマン朝の古文書学と社会経済史である。

2月24日の東大東文研における研究会では、ブルガリアのオスマン文書館について、そ の創設と整備、所蔵史料を中心とした、以下のような報告が行なわれた。

ブルガリアは、1878年に自治権を獲得すると、翌年には、国立図書館をソフィアに創 設し、同時に、バルカンではじめての文書館を創設した。ブルガリアにおけるオスマ ン語文書の収集・保存の動きは、極めて早かったが、当初文書館が所蔵するオスマン 語文書は、ブルガリアに存在する地方文書を中心としたものであり、その分類・整理 は、20世紀初頭までほとんど進展しなかった。

しかし、戦間期に重大な変化が生じた。1931年、反故紙として大量のオスマン語文書 が、トルコからブルガリアの製紙工場へと販売・移送され、これを察知したトルコ政 府とブルガリア政府の間で、その所有権をめぐって激烈なやり取りがおこなわれた。 さらに、当時ヨーロッパで台頭してきたナチス・ドイツは、ブルガリアを取り込むべく、 軍産学の広範囲にわたる連帯を強める一方、トルコをも自陣営に引き込むべく、ブル ガリアに移送された文書をトルコへ返還するよう、ブルガリア政府に圧力をかけた。

結局、移送されてきた文書の一部はトルコに返還されたが、この事件によって、ブル ガリアは、オスマン朝中央で保管されていた多数のオスマン語文書を入手することに なった。現在、ソフィアの文書館には、およそ100万点のオスマン語文書が所蔵されて いる。その数は、イスタンブルの総理府オスマン文書館の1億点という所蔵数には及ば ないが、他に類例のない、独自の情報を伝える史料がある。例えば、イェニチェリに 関わる100点ほどの文書群は有名である。

また、ドイツとの学術交流を通じて、ブルガリアは分類方法とカタログ作成方法とを 学んだ。このことは、オスマン語文書の整理を進め、それを利用した研究をおこなう上 で、大きな役割を果たした。今日使用されている文書館のカタログは、この時の経験を 踏まえ1950年代に作成されたものである。加えて、1993年には、ブルガリアとトルコ の学術交流がはじまり、両国の文書館に所蔵されている史料の相互複写・交換もおこな われるようになった。

第二次世界大戦後のブルガリアでは、オスマン語文書を利用した研究が本格的に進めら れていくとともに、多くの業績が発表されていった。しかし、依然として、オスマン 支配については、圧政とみなす否定的評価がくだされていた。例えば、住民のイスラー ムへの改宗は、自発的なものではなく、強制に基づくものであるという理解がそれであ る。このようなオスマン支配に対する否定的評価は、19世紀以降のナショナリズムと冷 戦下のイデオロギー対立の影響を強く受けたものであった。しかし、今日、ブルガリア においても、一次史料に基づく再検討によって、従来までのオスマン支配への否定的評 価は、徐々に見直されつつある。

以上のラドゥシェフ氏の報告を踏まえて、参加者から、第二次世界大戦の戦災がブルガ リアのオスマン文書館に与えた影響、ブルガリアにおけるイスラーム法廷台帳の残存状 態などに関する質問がなされた。また、ラドゥシェフ氏のジズヤ台帳、アヴァールズ台 帳といった、財政関係の文書を利用した研究の意義と今後の展望についても、活発な質疑 応答がおこなわれた。その際のラドゥシェフ氏による共同研究の呼びかけは、大変印象深 いものであった。

すなわち、ジズヤ台帳やアヴァールズ台帳といった史料の分析は、前近代の人口の大部分 を占めていた村人たちの世界と、オスマン朝の統治体制を理解する上で、不可欠であるが、 これらの史料は、様々な国や地域の文書館に膨大な数が現存しており、その調査・分析に は大変な時間と手間がかかる。そのため、共同研究が望まれる。ただし、この共同研究は、 単なる調査・分析にとどまらない、重要な意義を有している。なぜなら、かつてオスマン 朝に関わるバルカン諸国の研究は、排外的なナショナリズムと結びつき、敵をつくりだす ものであった。しかし、この共同研究は、敵をつくるのではなく、研究者相互の協力を前 提とし、人と人との連携を生みだすものである。オスマン社会経済史研究における共同研 究は、このような大きな可能性をも含んでいるのである。

終了予定時刻を過ぎたため、研究会は一応お開きとなったが、場所を移しておこなわれた 懇親会でも、そしてホテルへのお見送りの際にも、ラドゥシェフ氏と参加者との間では、 研究に関わる話題はつきることはなかった。今回の研究会は、ブルガリアのオスマン文書館 に所蔵されている史料の重要性と可能性、さらにラドゥシェフ氏の学識の深さを、参加者に 強く認識させるとともに、ラドゥシェフ氏とのなお一層の交流をのぞませるものであった。

(文責:今野毅/北海学園大学・札幌学院大学非常勤講師)

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