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■2010年度東文研セミナー
[日時] 2011年1月31日(月)17:30-19:30
[会場] 東京大学東洋文化研究所 3階 第一会議室
[講演] 「ディーヴァーヌ・ヒュマーユーンおよび関連重要文書体系の構造と変容」
[報告者] ビルギン・アイドゥン氏(マルマラ大学)
[使用言語] トルコ語(通訳なし)
[共催] 研究班「オスマン帝国史の諸問題」・文部科学省「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」東洋文庫拠点公募研究
[概要]
報告者のビルギン・アイドゥン氏は、マルマラ大学の文理学部准教授である。氏は、マルマラ大学の古文書学学科の第二期生であり、
オスマン文書研究に専念され、あらゆる種類の文書を知っているといって過言ではない。今回の東文研セミナーでは、御前会議事務諸局
(Divan-i Humayun)で作成された文書群とその文書行政機構の変遷について、16世紀までの君主の勅令(hukum, 複数形はahkam)を
控えた帳簿類(ahkam defterleri)の分析に基づき報告していただいた。その要旨は以下の通りである。
15世紀の勅令を控えた帳簿は現存していないが、16世紀の勅令を控えた帳簿は、よく知られた枢機勅令簿(muhimme defterleri)
のほかに、俸給辞令簿(ruus defterler)、俸禄辞令授与簿(tahvil ahkam defterleri)、財務勅令簿(maliye ahkam defterler)
の3種類があった。ただし、財務勅令簿は、財務長官府(defterdarlik/bab-idefteri)に由来するもので、御前会議事務諸局とは
関係がない。
残る俸禄辞令授与簿と俸給辞令簿は、いずれも軍人・官人の任免に関わる勅令を記録したものであることは、先行研究で知られて
いた。しかしアイドゥン氏の分析によって、以下のような新事実が明らかになった。すなわち、16世紀の俸禄辞令授与簿と俸給辞令簿
の書式と記載内容を比較すると、帳簿の利用期間、頁あたりで控えられた勅令の数量、日付の見出しの有無などについては、それぞれ
異なる。また、同一人物の任命に関わる記録を比較したところ、それぞれの帳簿の果たした役割の相違が浮かびあがってきた。例えば、
知行支給の上奏があると、この件について君主の承認があった後、まず、君主の承認があった旨を記した大宰相などから命令(buyuruldu)
が俸給辞令簿に記入される。次いで、知行保持を認めた勅許状(berat)や勅令が作成されると、その内容が俸禄辞令授与簿に書きとめ
られていたのである。さらに、俸給辞令簿の特徴としては、宮廷における人材育成制度、任命制度を考察する上で重要な情報を含むと
ともに、枢機勅令簿と比較すると、俸給辞令簿には社会史的情報が含まれず、時代を経るにつれてイスラム法官(kadi)の任免も記載
されなくなったことも判明した。
くわえて、本発表で取り上げられた帳簿類は、君主と彼に随行する宮廷構成員の動向を明らかにするためにはもちろん、オスマン朝
における旅行記・遠征記・儀式典範といった史料の欠落をおぎなう上でも、重要な史料となっていることが指摘できる。というのは、
オスマン朝中央の文書行政機構は、常に君主に付き従っており、君主の決定として発行される勅令は、勅令を控えた帳簿群に記録され、
そこでは帳簿に記載された際の日付と記載地点などの情報が明確に書かれていたためである。
文責 今野毅(北海学園大学・札幌学院大学非常勤講師)
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