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(Hinz: 2, A: 1b <4b>)
[序 文]
1
天の書記達(muḥarrirān)と地の財務吏達(mustawfiyān)、すなわち高き世界を称賛する者達(muṣabbiḥān)
2
と地表の精髄の持ち主達の舌にとってさえ不可能な賞賛と、天高き国すなわち「最初に神が創造したものは、知性である」と説明される本質(jawhar)に秩序を与える者(naẓẓām)をもってしてもできない賛美とは、唯一性の主の宮殿への捧げ物である。「神は天地の光である」(『クルアーン』御光章:35節)という聖典の句は、そのお方の高貴なる家の帳簿に記された「条(ḥarf)」の1つであり、「偉大さは我が衣、至大さは我が蔽」という預言者の言葉の意味は、そのお方の至高なるディーワーン(dīwān)の収支記録簿の「項(daf‘a)」の1つである
3
。神がいと高からんことを!その偉大さが輝かんことを!神の預言者、神の友、神を愛する者――彼は預言者の封印――と、彼の一族と教友に祈りあれ。神が大いなる平安をお与えになりますように。
(A: 2a<5a>)
輝ける主である神に対する賞賛と高貴なるクライシュ族の預言者への祈りのあとで、慧眼の主の広き御心には明らかであろうが、簿記術の学(fann-i siyāqat)は、他の諸学に比してより高く重要であり、また雄弁なる者や聡明なる者
4
の見解において一致して、高貴なものである。また、会計(ḥisāb)の基を欠く、王権と王朝の諸事と王国の重要事は、無意味などころか無効である。「神が最初に創造したのは筆である」という言葉の内容に従って、あらゆる件について、知性という裁定者が筆を思考という手にとらず、知識によって裁定を下すことがないとしたら、その件について正しく考えをお命じになることができない。ディーワーンのあらゆる収支決済について、筆が裁断を下さず、会計がその問題(bāb)
5
を解決しなければ、間違いなく、速やかに当該の問題は適正なる段階から腐敗するであろう。なぜならば、腐敗のある場所では、会計[の学]の基がなくて、数え切れないほどの不足(nuqṣān)が、国事の様々な場面で生じてくるためである。
こうした現実を踏まえて、優れた賢者や偉大なる知者は互いに一致して(A: 2b<5b>)この重要なる学問を築き、ひとつひとつの重要事ごとにそれぞれ異なる会計を記し、それにふさわしい規則を設定したのである。そうして、ムハンマド・イブン・キヤー・アルマーザンダラーニーの息子である、偉人達の模範たるアブド・アッラー
6
――神よ、彼の墓を照らし給え――に至った。彼は、神に加護されたマーザンダラーン
7
出身の名士の1人であり、彼の同時代人のなかであらゆる(Hinz: 3)[会計]諸学において比類なく
8
、タブリーズの誉れ高き地において育った。世界の多くの土地に足を運び、会計の学問に関する1冊(nuskha)を著した。本書は、マーザンダラーンの偉大なる王達の宰相の1人であった、宰相のなかの栄誉、フマーム・アッダウラ・ワ・アッディーン・ファラク・アルマーニー
9
――神よ、彼の墓に水を与え給え――の時代に完成した。そのことにちなんで、本書は『ファラキーヤの論説』と名付けられたのである。
本書の写字生(nāqil)、すなわち、卑しき「富裕なる神を必要とする者」は、本書の筆写に興味を持った際、亡き著者――神よ、彼に慈悲をかけ給え――は、本書に適切なる序文を(A: 3a<6a>)書いておらず、「慈悲深く、慈愛あまねき神の御名において」と記したのちに、すぐに[本論を]始めていると知った。そこで、やむを得ず蛮勇を奮い、寛大なる主の恩寵に従って序文を書いた。そして、本書に記された様々な日付のゆえん(sabab-i tawārīkh-i kitāb)を、[私の]目に留まった諸本をもとに解き明かした。読者や識者に本書の真実性(ḥaqīqat-i nuskha)が明らかとなりますように。「全てのことについて、神に委ねた」。
1
序文にあたるMの該当箇所はM: 1–3。
2
校訂はmuṣannajānと読むが、AとMを参照したところ、muṣabbiḥānと読むべきであると判断した(M: 1)。
3
「条」と「項」は、いずれも内訳を示す際に用いられる術語である。この2語については本訳註第4章を参照のこと。
4
校訂は「著述の主達(arbāb-i kitābat)」と読むが、AおよびMを参照したところ「賢明なる者(arbāb-i kiyāsat)」と読むべきであると判断した(M: 2)。
5
校訂はbāzと読むが、AおよびMを参照したところ、「問題、一件(bāb)」と読むべきであると判断した(M: 2)。
6
Mではアブド・アッラフマーン ‘Abd al-Raḥmān(M: 2)。
7
Māzandarān:カスピ海南東部の地方。13世紀から14世紀半ばは、イル・ハン朝に臣従した地方政権バーワンド朝の支配下にあった(
Nuzhat al-Qulūb
: 109–160; Krawulsky 1978: 332–346;
EIr
, “ĀL-E BĀVAND”)。
8
Mにおいてはdar tamāmī-yi funūn lā-naẓīrとなっており(M: 2)、より明瞭に意味を取ることができる。
9
Humām al-Dawla wal-Dīn Falak al-Ma‘ānīとは「王権と宗教の大志、精神の天球」の意。Mでは、あとの部分は「いと高き天球(Falak al-Ma‘ālī)」となっている(M: 3)。
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