|
(Hinz: 57; A: 36b<39b>)
第7章1
規定書
「規定書(mu’āmara)」とは、財務行政のために徴税吏にある州が委ねられる際、ディーワーンからその者に宛てて書かれる命令書のことであり、徴税吏はその命令に従って職務の開始から終了まで、記されている通りに、(A:
37a<40a>)ごくわずかでも逸脱してはならないものである。簿記術にたずさわる者は、そのような命令を「規定書」と(Hinz:
58)呼ぶ。つまり、「命令されたこと」である 2。この冊子(daftar)は、州の全般的な原則であり、王国の諸税の母である。紙の冒頭に、最初に「神――偉大にして栄光あらんことを――の名のもとに」と[いう文言で]開始される。
合計(mablagh)───────────────────────────────────────────────────────
新しい証書(ḥujja)に従ったタブリーズの徴税請負(ḍamān)について、ハージャー・ナスル・アッディーン・アッタブリーズィーの責任において生じた[請負額の]
その[責任の]開始はムハッラム月朔日である。これは施行されている諸規定に基づくが、善良なる者達の証言をもってすれば、天災や軍隊の通過、隊商の通行禁止がその合計から精算される。そして741年サファル月朔日に、至高なる命令――いと高き神よ、それを高め給え、そしてその効力を永遠のものにし給え――に従って[この規定書は]発行された。 満1年
基本額(aṣl)
都市部(balda)と郡部(wilāya)において ─────────────────────────────────────
現行通貨で 3,288,000 d.n
(A: 37b<40b>)
都市部 ───────────────────────────
2,881,000 d.n
|
郡部 ────────────────────────────
407,000 d.n
|
基本額の収入
都市部 ──────────────────────────────────────────────────────────────
2,881,000
d.n
収入
タムガ税について────────────────────────────────────────
2,270,000 d.n
(Hinz:59)
大タムガ税────────
200,000 d.n
|
絹のタムガ税 ──────
300,000 d.n
|
計量税(qabbān) ─────
250,000 d.n
|
肉畜市場税3 ────── 250,000 d.n
|
鞣革屋 ──────────
100,000 d.n |
奴隷市場4
───────
100,000 d.n
|
駄獣市場 ────────
120,000 d.n
|
染物屋5 ─────────
150,000 d.n
|
宝石商と打刻所 ─────
250,000 d.n |
屠殺商──────────
100,000 d.n
|
驢馬市場 ────────
50,000 d.n
|
手数料(khārijīya)─── 130,000 d.n
|
小間物市場 ───────
40,000 d.n |
飼葉屋 ──────────
30,000 d.n
|
料理屋 ──────────
40,000 d.n
|
酒屋と娼家 ──────── 160,000 d.n
|
収入の対
製造品税(jihāt)について ─────────────────────────────────
611,000 d.n (A: 38a<41a>)
織物業───────────
55,000 d.n
|
鍛冶屋──────────
30,000 d.n
|
仕立屋──────────
15,000 d.n
|
蹄鉄屋──────────
40,000 d.n
|
染物屋6──────────
50,000 d.n
|
履物屋7─────────
20,000 d.n
|
製陶業──────────
15,000 d.n
|
製藍業──────────
10,000 d.n
|
梳毛業8─────────
25,000 d.n
|
製鞍業9─────────
10,000 d.n
|
弓屋────────────
15,000 d.n
|
矢屋────────────
6,000 d.n
|
( Hinz: 60)
小売商*10────────
40,000 d.n |
大工────────────
20,000 d.n |
天幕屋*──────────
15,000 d.n |
製粉所──────────
57,000 d.n |
運搬業11─────────
20,000 d.n |
計量屋──────────
20,000 d.n |
建築業──────────
30,000 d.n |
大麻の家12───────
20,000 d.n |
収入の対
郡部 ──────────────────────────────────────────────13
407,000
d.n
郡 ──────────────────────────────
ミフラーンルード 57,000 d.n |
郡 ──────────────────────────────
ホイとその周辺
220,000 d.n |
サーダーバード村
10,000 d.n |
ナジュミー村─
10,000 d.n |
マドゥルーン村
20,000 d.n |
マジュディー村
120,000 d.n |
ムガーン村───
80,000 d.n |
ラーミン村───
20,000 d.n |
(A: 38b<41b>)
郡 ────────────────────────────── サルマース 73,000 d.n
(Hinz: 61) |
郡 ──────────────────────────────
アラターグ
57,000 d.n |
サーディー村と果樹園─
48,000 d.n |
ウミーディー村──────
25,000 d.n |
アラーイー村───────
37,000 d.n
|
アダニ-村────────
20,000 d.n
|
支出
そこから差し引かれた────────────────────────────────────────────────────── 通常経費 875,100 d.n
支出の内訳(min-hā-yi maṣraf)
給付金(idrārāt)───────────────────────────────────────────
カーディー達、イマーム達、シャイフ達
そして一連の人々の名義 338,700 d.n
カーディー─────────
シャムス・アッディーン
30,000 d.n |
カーディー─────────
ナスィール・アルミッラ・ワ・アッディーン 24,000 d.n |
カーディー─────────
サドル・アッディーン
10,000 d.n |
カーディー─────────
ブルハーン・アッディーン 10,000 d.n |
マウラーナ-─────────────
シャムス・アッディーン・ウバイド
30,000 d.n
|
アミール────────────────
ブルハーン・アッディーン
40,000 d.n
|
マウラーナ-─────────────
ジャマール・アッディーン・ワーイズ 15,000 d.n
|
(Hinz: 62) シャイフ────────────────
イマード・アッディーン
26,000 d.n
|
イマーム───────────────
ウミード・アッディーン
25,000 d.n
|
ハージャ────────────────
アリー・ハーティブ 28,700 d.n
|
シャイフ────────────────
アフマドとその兄弟イマード・アッディーン 彼らはホイにいる
30,000 d.n |
マウラーナ-─────────────
イッズ・アッディーン・アルバルヒー スルターンのマドラサの助手
20,000 d.n |
ハージャ────────────────
イフティハール・アッディーン 一連のワクフ財の徴収人と部下 50,000 d.n |
|
|
|
|
ハージャ────
イフティファール
24,000 d.n
|
部下───────
26,000 d.n |
|
|
|
|
マウラーナー
バドル
16,000 d.n
|
マウラーナー
アフマド 10,000 d.n |
定められた支出の対(qarīna-yi muthbat-i maṣraf)14
諸費(maṣāliḥ)と必需品 ───────────────────────────────────
サイイドの館(dār al-siyāda)の
偉大なるムルタダー 15・クトブ・アッディーン・ハサンに引き渡す
100,000 d.n
(Hinz: 63) 必需品───────────────────────────
サイイドの館における 帳簿に従って 74,000 d.n |
給与(mawājib)────────────────────
アミール・クトブ・アッディーン・ハサン および、召使い達
26,000 d.n |
|
|
アミール────────── 16,000 d.n
|
召使いたち───────── 10,000 d.n
|
支出の対(qarīna-yi mīm)16
年俸(marsūmāt)───────────────────────────────────────
タムガ税の重要事に携わる徴税吏に対する 176,400 d.n (A: 39b<42b>)
細目────────────────────────────────
大タムガ税──────────────
1日 90 d.n
1月 2,700 d.n
1年 32,400 d.n
(Hinz: 64)
|
絹のタムガ税────────────
1日 100 d.n
1月 3,000 d.n
1年 36,000 d.n
|
計量税────────────────
1日 120 d.n
1月 3,600 d.n
1年 43,200 d.n
|
肉畜市場(khaṭīra)───────
1日 60 d.n
1月 1,800 d.n
1年 21,600 d.n
|
鞣革屋────────────────
1日 50 d.n
1月 1,500 d.n
1年 18,000 d.n
|
奴隷市場───────────────
1日 70 d.n
1月 2,100 d.n
1年 25,200 d.n
|
支出の対
使者の経費(ikhrājāt al-ṣādir wal-wārid)─────────────────────────
ハージャ・ウバイド・サラフスィーとハージャ・ウバイド・タブリーズィーの責任と 管轄(ihtimām)において
彼らがディーワーンに持ってきている帳簿に従って 120,000 d.n
支出の対
駅伝(yām)───────────────────────────────────────────
駅逓官(yāmchī)ジャマール・アッディーンと彼の同僚(sharīk)の責任と管轄における
90,000 d.n (A: 40a<43a>)
支出の対
工事費(‘imārāt)──────────────────────────────────────────
酒場や宿屋などのディーワーンの収益物件に対する 50,000
d.n
(Hinz: 65)
支出の対
残余───────────────────────────────────────────────────────────────
彼(徴税吏)のもとに。その年の終わりまでに、ディーワーンのバラート 17、受領書(yāftajāt)、割付証書(ḥawāla)18により精算される
2,412,900
d.n
彼(徴税吏)は、この額を年末までに、ディーワーンのバラートと割付証書に従って支払い、割付証書を持つ人々(arbāb-i
ḥawālāt)に届けねばならない。請負期間が終了する年の終わりに、彼は会計(ḥisāb)を大ディーワーン(dīwān-i
a‘lā)に提出し、ディーワーンの署名がなされ、手元に保管してあるバラートと受領書を財務長官(ṣāḥib
dīwān)に提示せねばならない。彼が会計を戻したら、必ず受領の印として、ディーワーンの書記達(niwīsandagān-i
dīwān)が書き財務長官が署名した1通の証書が、ディーワーンから彼に与えられる。(A: 40b<43b>)後日、その州で[未納金の]支払が命じられるとき19、彼が訴追20されないようにするためである。
[バラート・受領書の書式]
書式───────────────────────────────────────
ある人物の[徴税請負の]任期に21、年間を通して、彼宛に発行され、支払いを行わせる22[文書の]。それはバラート(barāt)と呼ばれる。すなわちディーワーンが借りるかたちで(az
qarḍ-i dīwānī)[支払いを]彼の義務に委ね23、[その額が]引き渡された人々(aṣḥāb-i
taḥwīl)の受領書(yāfta)を、彼の会計に繰り込むのである(maḥsūb
dārand)。ディーワーンの受領書とバラートの書面は、[以下に]述べられるように書かれる。
規則(qā‘ida)24:
バラートには、君主の王国の管理人(amīn)たるワズィールが、その総額(bāriz)を信用できるよう、9つのものが述べられていなければならない。バラートはディーワーンから発行されるものであるが、9つの構成要素の条件とその遵守は、他の何人でもなく(na
bar ghayr)大ディーワーンの書記に課されていることであろう25。
9つの規則
1. 最初に、支払人(mu‘āmil)の名。すなわち「某地出身のハージャ・某アッディーン(Fulān al-Dīn)」。
2. 次に、税(wujūh)。どの税から支払うべく(az kudām wujūh)彼に対し[バラートが]書かれるか。 3. 次に、命令(parwāna)26。「口頭による命令(parwāncha-yi
mushāfiha)」は、面前で命令がなされたものである。(Hinz:
66)もし[命令者が]いないところで書かれる場合は、「小姓(chuhra)または随臣(mulāzim)の某アッディーンの[伝えた]命令(parwāncha)」である。
4. 次に、支払うべき額・量。「〜ディーナール」または「〜個」、何であれありうるもの27。
5. 次に、引き渡し先について。「某アッディーン・アッサラフスィーへ引き渡して(ba-taslīm-i Fulān al-Dīn al-Sarakhsī)」。
6. 次に、支払額の半額。これは[支払額を]強調し、正確を期すためである。 7. 次に、日付。「某日付に書かれた」。
8. 次に、「高貴な署名がなされるので28、信用せよ」。
9. 次に、起草の場所。すなわち「このバラートは某地で記された」29。
書式───────────────────────────────────────
バラートの書式は、[次のように]書かれる30:
ディーワーンの官吏(‘amaldār)であるハージャ・ジャマール・アッディーン・サラフスィーは、彼の責任となっている某年のタブリーズの徴税請負の正税から、某の費用として、某の[伝える]命令に従い 31、某に引き渡して、現行アクチェ通貨で
五万ディーナール ——————— 25,000 d.n を届けよ。 (A: 41b<44b>) ディーワーンの署名により栄誉を与えられるので、信用せよ。某[日]に某地において記される。唯一なる神に賞賛あれ。
受領書を書くときの書式───────────────────────────────────────
十万ディーナールの額が、ハージャ・ジャマール・アッディーン・サラフスィーより、 ——————— 50, 000
d.n 某年のタブリーズの徴税請負の税から、栄えたる財庫(khizāna)の費用(wajh)として、小生らに届いている。
この覚え書き(dhikr)は、彼の求め(istiẓhār)に対し、受領書として与えられた。大ディーワーンの管理人達による会計(muḥāsaba)の際、彼の会計に繰り入れるように。
某年某[月]朔日に記す。 某地において。
[精算書の書式] (Hinz: 67)
別の書式(ṣūrat-i dīgar)───────────────────────────────────────
州の税収(jam‘-i
amwāl-i mamlakat)を再び締めくくるだろうと述べていたが、それは以下の通りである32:
総計───────────────────────────────────────────────────────────────
(A: 42a<45a>)
ハージャ・ジャマール・アッディーン・サラフスィーに対し、764年のタブリーズの諸税の請負により、彼から新たに提出された証書 33と、その年の初めにディーワーンの署名を付して彼のために書かれ、現在彼が所持しているディーワーンの規定書に従って[課された額の]。高貴なる命令により、764年サファル月朔日 34に記す。
現行通貨で 3,288,000 d.n
基本額
都市部───────────────────────────────────────────
[規定書の]都市部[の項目]で示された説明(sharḥ) 35に従い、
タムガ税と製造品税から[徴収される]。 規定書では 2,881,000 d.n
収入 (maḥṣūl) タムガ税───────────────────────────
規定書の帳簿によれば
2,270,000 d.n
|
収入 製造品税──────────────────────────
規定書中の説明に基づき 611,000 d.n
|
基本額の対
郡部─────────────────────────────────────────────
規定書に定められた地域(mawḍi‘) 407,000 d.n (Hinz:
68, A:45b) 支出(maṣraf)36
これから差し引かれた ───────────────────────────────────────────────────
諸経費に 3,25[4],750 d.n 37
定められた支出(muthbat-i mīm)
通常経費────────────────────────────────────────── 規定書に述べられた如く 875,100 d.n
給付金 ──────────────────────────
[規定書の]先の説明によるカーディー達、 イマーム達、シャイフ達名義 338,700 d.n
|
諸費と必需品───────────────────────
サイイドの館の アミール・クトブ・アッディーン・ハサンの管轄による 100,000 d.n
|
年俸 ──────────────────────────
タムガ税に関わる徴税吏達の [規定書の]説明により 176,400 d.n
|
経費────────────────────────────
使者の ハージャ・ウバイド・サラフスィーの管轄による 120,000 d.n
|
駅伝 ──────────────────────────
ジャマール・アッディーン駅逓官の管轄による 90,000 d.n
|
工事費────────────────────────────
ディーワーンの収益物件の 50,000 d.n
|
支出の対(qarīna-yi mīm)
特別経費──────────────────────────────────────────
ディーワーンに提出された、署名入りのディーワーンのバラートおよび 受領書に基づいて
2,379,650 d.n
(Hinz: 69, A: 43a<46a>) 支出の対
イクター(iqṭā‘āt)──────────────────────────────
常勝軍(al-‘asākir al-manṣūra)のために
750,000 d.n
定められた支出(muthbat-i mīm)
モンゴル軍(Mughūl)─────────────────
550,000 d.n
万人隊(tūmān)────────────────────
偉大なるノヤン、アミール・ムハンマド・ハージャ麾下、アジャブ・シールの[伝える]命令により38 トガンに引き渡して ジュマーダーII月朔日のバラート 300,000 d.n
|
万人隊───────────────────────────
偉大なるアミール・フサイン・ベク麾下 口頭の命令により サファル月朔日のバラート
250,000 d.n
|
支出の対(qarīna-yi mīm)
タージーク軍(Tājīk)39─────────────────
諸城砦(qilā‘)に配備された ハージャ・ウバイド 40の
[伝える]
命令により ズー・アルヒッジャ月朔日のバラート 200,000 d.n その内訳は
城砦(qal‘a)──────
スルターニーヤ41
100,000 d.n
|
城砦────────────
アランジャク42
35,000 d.n
|
城砦────────────
カフカハ43
60,000 d.n
|
城砦────────────
AWR.AW?44
20,000 d.n うち、ジャマール・アッディーンがディーワーンのために補填 (kifāyat)45 15,000
d.n あとに残った5, 000 d.n
|
(Hinz: 70) 支出の対
年俸──────────────────────────────────────
本年の 口頭の命令により 300,000 d.n (A: 43b<46b>)
ディーワーン ───────────────────────
ワズィール職の ――神がその力を偉大にせんことを―― ティムールに引き渡して ラマダーン月朔日のバラート
説明(bil-sharḥ) 500,000 d.nのうち46 残り(ba‘da-hu)300,000
d.nは その他の諸州において[徴収される] |
諸長官───────────────────────────
大ディーワーンの
彼らの徴収人(muḥaṣṣilān)に引き渡して ジュマーダーII月10日のバラート
説明 700,000 d.n47であった。うち600,000
d.nは [次の]諸地域において[徴収される]
|
バグダード 200,000 d.n
|
ディヤールバクル 100,000 d.n
|
バグダード 20,000 d.n
|
シーラーズ 200,000 d.n
|
イスファハーン 200,000 d.n
|
残った 200,000 d.n
|
スルターニーヤ 100,000 d.n
そのあとに残った 100,000 d.n
|
|
財務庁 (dīwān al-istīfā’) 200,000 d.n
大書記庁49
100,000
d.n
監督庁 (dīwān al-naẓar)50
100,000 d.n
ハージャ・マフムードシャー 50,000 d.n
|
監察庁 (dīwān al-ishrāf)48
100,000
d.n
ハージャ・イマード・アッディーン 50,000 d.n
|
(Hinz: 71) 支出の対
俸給(mawājib)───────────────────────────────
107,000 d.n (A: 44a<47a>)
チータ飼い(fahhādīya)────────────────
チータのための諸費を含む、 彼らの長はアミール・ハッジ 小姓アリーの[伝える]命令により ラジャブ月20日のバラート
50,000 d.n
俸給───────────────────
チータ飼いの
40,000 d.n |
諸長官───────────────────────────
犬のための諸費とともに ティムール・ハージャの[伝える]命令[により]、サファル月1日のバラート
57,000 d.n
俸給───────────────────
犬飼い達の 彼らの長はサイイディー であり、彼に引き渡して 30,000 d.n
|
長個人の俸給─────
アミール・ハッジ 20,000 d.n51
20,000 d.n
|
チータ飼い達の俸給──
20名 1名あたり 1,000 d.n 20,000 d.n
|
城砦────────────
サイイディー 彼に引き渡して
20,000 d.n
|
城砦────────────
50匹 5匹につき1名、 すなわち 10名、1名あたり 1,000 d.n 10,000
d.n
|
(Hinz: 72)
餌(ṭu‘ma)────────────────
とチータのための諸費 鎖(qallādāt)、紐(ḥibāl)、 杭(masāmīr) 20頭分
1頭につき 500 d.n 10,000 d.n |
犬のための諸費 ─────────────
50匹分 27,000 d.n 餌─────────── 衣(jull)────────
1匹につき と鎖と杭と首輪 500 d.n 25,000 d.n 2,000 d.n |
(A:44b<47b>) 支出の対
預託金(taḥwīlāt)─────────────────────────────52
1,000,000 d.n (A: 44a<47a>)
代理人達(nuwwāb)53────────────────
諸工房(buyūt al-a‘māl)の 説明 400,000
d.n |
代理人達──────────────────────────
栄えある財庫の、彼らはハージャ・ジャマール・アッディーンとハージャ・ルウルウ 説明 600,000
d.n
|
サドル ──────────
ージャ・ルクン・アッディーン 諸費の代金として 錫(?)工房54の
(Hinz: 73) ズー・アルカーダ月10日付のバラート
|
技術者の誉──────
鞍作り ムハンマド師匠 鞍(zīn-hā)・箙(tarkash)・長靴(mūza-hā)の諸費の代金として
ズー・アルカーダ月朔日付のバラート |
項(ḥarf)─────────────────────────
ディーワーンの諸バラートに基づき 500,000 d.n
バラート────────── バラート────────
ズー・アルヒッジャ月2日付 ラビーII月4日付 200,000 d.n55から56、 最初のバラート57の
うち400,000 d.n 二十万ディーナール [以下の]諸地域で とは別に(sawā-yi) [徴収]
|
250,000 d.n
|
150,000 d.n |
マラーガ58 100,000
d.n
マランド59 50,000
d.n
ウルミエ 50,000 d.n |
ナフチワーン60
150,000 d.n
サルマース 50,000 d.n |
300,000 d.n |
(A: 45a<48a>) |
あとに残った 200,000 d.n
項(ḥarf)─────────────────────────
ハージャ・ジャマール・アッディーンとハージャ・ルウルウの、彼らの署名のあるジュマーダーI月朔日付の受領書に基づき
100,000 d.n
|
支出の対
馬の代金─────────────────────────────────────────
|
と馬具管理所(bayt al-rikāb)61の諸費、偉大なるアミール・アリー・ベクの[伝えた]命令により、テムル主馬頭(akhtāchī)62に引き渡して、
ラビーI月10日付のバラート
62,150 d.n |
|
(Hinz: 74) 内訳
馬の代金────────────────────────────
王の厩舎(ṭawīlāt al-khāṣṣa)のために購入された
49,000 d.n
ベドウィンの馬(badawīya)──────────────
アラブ遊牧民63から購入、彼らの長はアブー・アルマーリー
5頭 25,000 d.n (A: 45b<48b>) |
ルーム産の馬(Rūmīya)───────────────
彼らの長は スィナーン・アッディーン 3頭 24,000 d.n
|
駿馬64 ──────────
栗毛の65
2頭 10,000 d.n
|
牝馬(mādiyān)────
3頭 15,000 d.n
鹿毛69
白(jarda) 1頭 1頭 6,000 d.n 5,000 d.n
栃栗毛70
(kahar) 1頭 4,000 d.n |
鹿毛────────────
額に星(qashqan)66 1頭 9,000
d.n
・・・(ShRGhH)71──
駿馬の(rahwār) 1頭 8,000 d.n
|
黄色馬
67─────────
額に星と… (qashqan AB?A)68 1頭 7,000
d.n |
内訳の対
馬具管理所の諸費 ──────────────────────
13,150 d.n
(Hinz: 75)
内々訳
王の鞍───────────────────────────
6具(dusūt) 6,200 d.n
ダマスクス鞍───────────────────────
七宝と銀箔貼り細工による 小綱(ḥablak)72・馬ろく(lijām)・腹帯(ḥizām)・鐙(rikāb)とともに 2具
1具につき1,500 d.n 3,000 d.n
トカト鞍(Tūqātīya73)─────────────────
小綱(?)とともに 4具 3,200 d.n
(A: 46a<49a>) 臀革製74 臀革製 臀革製
白 黒 赤 1 1 2 [9]00 d.n75 800 d.n
1,500 d.n (Hinz: 76) 内々訳
厩舎用の外套 (‘abāyāt al-iṣṭablīya)76───────
模様入りの羊毛製 腹帯つき 5枚 1枚につき 150 d.n 750 d.n 赤い布 白い布
3 2 |
内々訳
馬衣(jilāl)────────────────────────
羊毛製のダマスクス風馬衣
8枚(qiṭ‘) 5,200 d.n
無地の白(abyaḍ al-sādaj)─────────────
絹製の総飾り(sharrābāt)77と赤い繻子織の縁飾り(sanjāf)78が付いている 5 1つにつき 500 d.n
2,500 d.n
赤(aḥmar)───────────────────────
金糸を縫い込んだ革紐と緑の絹の総飾りと錦(kamkhā)の縁飾り(sanjāf)付き79 3 1点につき 900 d.n 2,700 d.n
内々訳
面繋(sar-i afsār)80──────────────────
シリアの鎖付きの革紐81
鎖は表面が覆われている (muqanna‘)82 10個(qiṭ‘) 1個につき 100 d.n 1,000 d.n |
支出の対
下賜(in‘āmāt)─────────────────────────────────
仕えている学者達(afāḍil-i mulāzim)のために、 シハーブ・アッディーン・アブド・アッラー・アッサドルが伝えた命令により 83、 ジュマーダーII月朔日
本年の[支給] 61,000 d.n
偉大なるイマーム達 ──────────────────
18,000 d.n (A: 46b<49b>) |
偉大なるシャイフ達──────────────────── 16,000
d.n
|
マウラーナー──────
マジュド・アッディーン
10,000 d.n
|
マウラーナー──────
アミール・マジュド・ アッディーン 8,000 d.n |
偉大なる─────────
シャイフ ヌール・アッディーン 10,000
d.n |
完全なる─────────
シャイフ ラディー・アッディーン 6,000
d.n |
(Hinz: 77)
医師達 ─────────────────────────
16,000 d.n |
天文学者達 ──────────────────────── 11,000
d.n
|
マウラーナー──────
ジャマール・アッディーン 医師の84 9,000 d.n
|
アミール ─────────
ムハンマド・シーラーズィー 7,000 d.n |
マウラーナー──────
ターリビー 6,000
d.n |
天文学の栄光 ──────
マウラーナー アラー・アッディーン 5,000
d.n |
義援(ta‘ahhudāt)────────────────────────────────
と喜捨(ṣadaqāt)、断食明けの祭の日に、貧者達のために 貧者の館(dār
al-fuqarā’)の管財人(mutawallī)ハージャ・マジュド・ アッディーンに引き渡して ズー・アルヒッジャ月2日 85のバラート
9,500 d.n
礼拝所で(muṣallā)──────────────────
5,000 d.n |
モスクで(masjid)────────────────────
正午の礼拝の時刻に 4,500
d.n |
偉大なるサイイド達───
3,000 d.n
|
貧者達──────────
2,000 d.n |
貧者達───────────
3,500
d.n |
孤児達(aytām)────
1,000
d.n |
(A: 47a<50a>)
支出の対
被服費(jāmagīyāt)86────────────────────────────
厩舎に仕える者達、厩番(ākhūrsālār)、ラクダ番(shuturbān)の
口頭の命令[により]、ムハッラム月朔日付のバラート 87
[7]64年の前述のムハッラム月の[給付] 90,000 d.n
内訳
馬丁(sāyisān)────────────────────────
厩舎20棟 各棟に馬7頭 厩舎毎に1名を要する(yanbaghī) 88
計20名 1名につき 600 d.n 89 12,000
d.n
厩番達───────────────────────────────
彼らの長はウマルシャー 27,000 d.n
長個人の被服費─────────────────────
長と他の監督者達 9,000 d.n (A: 47b<50b>) |
ラバ引き(qaṭārdārān)90─────────────────
30隊、各隊にラバ 4頭 隊毎に 1名を要する 計30名、各名 600 d.n 18,000 d.n
|
支出の内訳の対
ラクダ番達 ───────────────────────────────
彼らの長はアヒー 51,000 d.n
長個人の被服費─────────────────────
アヒーとその配下 10,000 d.n |
ラクダ牽きの被服費(qaṭārdārīya)──────────
50隊 各隊 7頭 41,000 d.n
|
|
|
幼ラクダ(basrāk)───
20隊 20名 各名 900 d.n 18,000 d.n
双瘤ラクダ(bukhtī)──
10隊 10名 各名 900 d.n 9,000 d.n
|
短毛ラクダ(lūk)────
20隊 20名 各名 700 d.n 14,000 d.n |
残余───────────────────────────────────────────────────────────────
前述の支出ののち、彼(請負人)のもとに残った 33,250 d.n
(Hinz:80; A: 48a<51a>)
以下が、これ(残余)から支払われる──────────────────────────────────────────
天災と、軍の通過による隊商の通行禁止を理由として 全額
(tamāman)
支出2(maṣraf-i thānī)
天災─────────────────────────────
アラターグ郡における 厳寒による 州の管理官達(umanā al-wilāya)91ジャマール・アッディーンとアミーン・アッディーンの証言により 20,000 d.n |
支出2
隊商の通行禁止─────────────────────
シーラーズ・イスファハーン方面への街道における軍の通過による
13,250 d.n
|
彼は徴税請負によるタブリーズの諸税[から支払うべき]ディーワーンの諸費用を以上の通りに完全に支払い、バラートを引き渡したゆえ、本文書が受領の印としていと高き指示に従い起草され、証明(istiẓhār) 92となるように彼に与えられた。以後、彼に対し、[7]64年の税収支に関していかなる告訴も要求もなされぬように。ヒジュラ暦 93765年ムハッラム月10日記。
1
Aには章番号はなく、「7」は校訂で補われたものである。Mにも章番号はない。本章のMの該当箇所はM: 52–73。同時代の他の簿記術指南書の規定書に関する解説は、Sa‘ādat-nāma:
116–118; Qānūn al-Sa‘āda: 13; Jāmi‘ al-Ḥisāb: 40–42。
2
Qānūn al-Sa‘ādaにおける「規定書」の説明は以下の通りである。「この語は原義では、「命令を一方から検分したことによる諮問」である。ディーワーンにおいては、徴税吏に課された税の説明、当該年に税から拠出される通常経費の説明と、もし全額消化されなければ、残額の見積もりを内容とし、署名が付された文書のことである。そして、しばしば、規定書の経常支出に変更が生じることがあるが、精算書と食い違う処置を規定書のなかで行った場合は、いかなることでも徴税吏に対し説明しなければならない」(Qānūn
al-Sa‘āda: 13)。一方、19世紀の簿記術指南書Furūghistānによれば、「規定書」とは、原義では「接収(muṣādara)」という意味であり、現在それは「予算(dastūr
al-‘amal)」と呼ばれる。簿記術の技能を持つ人々の術語でいうこの言葉は、ディーワーンを示す印がおされ、知事の署名・捺印(tawqī‘)があり、徴税吏に課された定められた税の説明とその支出を詳述するディーワーンの書類のことを指すという(Furūghistān:
245)。
3
khaṭīra:“Viehhof”(Hinz, Indices: 18)。Falakīyaの租税台帳(qānūn)の用例から、この税は生きた食肉用家畜の取引に課されていたと考えられる(Hinz:
175–177)。
4
「奴隷市場」から「手数料」までの部分は、Mでは「奴隷市場: 150,000 d.n、打刻所: 357,000 d.n、駄獣市場: 200,000
d.n、染物屋: 150,000 d.n、手数料: 100,000 d.n、rawwāsīya: 100,000 d.n、料理屋: 50,000
d.n」となっている(M: 54)。また、「小間物市場」から「酒屋と娼家」までの部分はMにはない。Mの用例中にあるrawwāsīyaとは、“Zunft der
Schlachtviehkopfverarbeiter”であり(Hinz, Indices:
22)、租税台帳の用例から食肉の頭部を専門に扱っている市場であることがわかる(Hinz: 182)。
5
ṣabbāghīya:“Färberzunft”(Hinz, Indices:
22)。租税台帳の用例から、この税は絹や衣料の染物に課されていたと考えられる(Hinz: 179)。
6
Mでは、該当箇所は鋳造業(sakkākīya)となっている(M: 54)。
7
khaffāfīya:“Schusterzunft”(Hinz, Indices: 18)。Mでは、このあとに小売商(baqqālīya)が入る(M: 54)。
8
ḥallājīya:“Wollkremplerzunft”(Hinz, Indices:
17)。Mでは、このあとに絨毯織業(lawwāfīya)、カイサリーヤ大商店(ḥānūt
al-qayṣarīya)、鞍屋(sarrājīya)、弦屋(wattārīya)が入る(M: 54)。
9
barādhiʻīya:“Packsättelmacherzunft”(Hinz, Indices: 15)。この語はMにはない。
10 *〜*は、Mでは欠落。
11
ḥammālīya。この語はMにはない。
12
Mでは、「大麻の家(bayt al-ḥashīsh)」ではなく、maḍmūnīyaとなっている(M: 54)。これが何を指すかは不明である。
13
ミフラーンルードMihrānrūd、ホイKhū’ī、サルマースSalmās、アラターグAlatāghは、いずれもアゼルバイジャン地方の地名。ミフラーンルードはタブリーズに属する7つの郡の1つ。タブリーズの東、5ファルサングに位置する(Nuzhat
al-Qulūb: 79; Krawulsky 1978:
538)。ホイはイル・ハン朝末期、アゼルバイジャン地方に置かれた9つのテュメン(tümen)の1つであり、ホイ、サルマース、ウルミエ、ウシュヌーヤUshnūyaの4都市から構成されていた(Nuzhat
al-Qulūb: 84)。同内容の個別帳簿用例では、アラターグではなくSa‘dī郡となっている(Hinz:
131)。モンゴル支配期の行政区テュメンに関しては、川本 2000を参照。
14
Aではヒンツが校訂したようにも読めるが、qarīna-yi min-hā-yi maṣrafと読むこともできる。
15
「偉大なるムルタダー(murtaḍā a‘ẓam)」は、Dastūr al-Kātibでは、大ナキーブ(naqīb
al-nuqabā’)やサイイドへの書簡の冒頭で用いる称号の1つとして用いられている(Dastūr al-Kātib: II, 17–21)。
16
mīmはmaṣraf(支出)の略号と解釈する。この略号は、後出の精算書用例にも登場する。
17 barāt:“Steuerscheck”(Hinz,
Indices: 15; Nabipour 1973: 157); 「割当証書、割付証書、支払命令書」(本田1991:
652)。バラートについては、このあと本章で詳しく解説される。同時代の他の簿記術指南書のバラートに関する解説は、Murshid:
96a–98a; Qānūn al-Sa‘āda: 11–12; Sa‘ādat-nāma: 110–115;
Nafā’is al-Funūn: I, 311–312。
18
ḥawāla:“Zahlungsanweisung”(Hinz, Indices: 18); “(Geld-)Anweisung”(Nabipour 1973:
161); 「割当、割付」(本田1991: 653)。
19
校訂では「後日、州で勧告が行われるときに(dar ayyām-i dīgar ki dar mamlakat tawṣiya
kunand)」であるが、Mでは「後日、州に割当てられる未納金について(dar ayyām-i dīgar az baqāyā’ī ki dar
mamlakat tawjīh kunand)」となっている(M:
57)。「勧告(tawṣiya)」と校訂されているTWṢYHは、Ṣとjīm形文字の語中形が似通っているため、TWJYHと読むことが可能である。tawjīh(“Auszahlung,”
Hinz, Indices:
24)は、ディーワーンでなんらかの経費が発生したとき、その支払いを特定の税収に割当てることであり、その割付を記録する帳簿として支出記録簿(tawjīhāt)がある(Hinz:
111–122; Sa‘ādat-nāma:
127–131)。この箇所では、ある州に対しディーワーンに納付していない税収残額の支払いが命じられることを意味している。
20 校訂では「召喚(da‘watī)」であるが、Aの該当語は「訴え(da‘wā)」と読むことができ、Mでは明らかに後者であるため(M:
57)、そちらを採用する。
21
校訂では「ある人物の管理の義務において(dar dhimma-yi mubāshirat-i
shakhsī)」だが、Aの該当語をdhimmaと読むことは難しく、zamānではないかと思われる。Mでも該当語は後者であるので(M:
57)、ここではその意味を採用し「期間」と解釈する。mubāshiraは「(何らかの)職務の管理」を意味するが、ここでは「徴税請負」と解釈する。
22
校訂では「彼から引き出す(az ū takhrīj kunand)」であるが、Aでは「彼から支出させる(az ū ba-kharj
kunand)」と読むことができる(M: 57)。
23
校訂では「彼の義務にバラートを置く(dhimmat-i ū rā barāt
mī-gudhārand)」となっているが、Aでbarātと解釈されている語はBRYまたはSBRYと読みうるため、「解決を彼の義務に置く(dhimmat-i ū
rā siparī mī-gudhārand)」と解釈した。Mの該当箇所はBRY mī-gudhārandとあるが(M: 57)、最初の語の読みは不明である。
24
Mでは「警告(tanabbuh)」(M: 57)。
25
校訂では「書記達の一部(juz’-i niwīsandagān)」となっているが、写本はA、Mともに「書記達の上に(bar
niwīsandagān)」と読むことができる(M: 58)。
26
parwāna:“Schriftlische Anweisung(eines Vorgesetzten an seine Behörde)”(Nabipour
1973: 161)。君主の命令・許可(parwānchaは指小辞がついた形)。多くの場合、口頭の命令を意味する(Anwarī 1373kh: 24–25)。
27
Mでは「「~ディーナール」、「~個」、またはなんらかの穀物や物それぞれがどれほどの量か」(M: 58)。
28
校訂では「署名により栄誉を与えられたので(ba-‘alāmat musharraf shud)」となっているが、写本はA、Mともにba-‘alāmat-i
sharīf rasadである(M: 58)。
29
このあと、Mでは、「バラートの規則では、バラートと受領書は[紙の]右端から左端まで真っ直ぐに(bī
taḥrīf)書かねばならず、紙の両端に空白を残してはいけない」という文が入る(M: 58)。
30 Mにこの1文はない(M:
58)。これ以下のバラート・受領書の用例は、AとMでは大きな相違がある。Aと校訂はバラート・受領書各1点のみの用例を載せているが、Mではジャマール・アッディーン・サラフスィー宛のバラート16点を引用しており、それは後続の、同人物の徴税請負の精算書用例(Hinz:
67–80)の「特別経費」の支出細目に一致している(Aのバラート・受領書用例は、この16点のバラート用例の一部)。Mのバラート用例(M:
58–66)は、以下の通りである: (1)バラート=アミール・ムハンマド・ハージャ麾下モンゴル軍のイクター 300,000 d.n
(2)バラート=タージーク軍200,000 d.n (3) バラート=サドル・ハージャ・ルクン・アッディーン管轄の錫(?)工房への預託金250,000
d.n (4)バラート=鞍作りムハンマド師匠への預託金150,000 d.n
(5)バラート=宮廷財庫官ハージャ・ジャラール・アッディーンとハージャ・ルウルウへの預託金600,000-400,000 (他州へ割付)=200,000 d.n
(6)バラート=300,000 d.n (7)受領書=100,000 d.n=受領書の用例
(8)バラート=ワズィールの年俸500,000-300,000 (他州へ割付)=200,000 d.n
(9)バラート=ディーワーン長官達の年俸700,000-600,000 (他州へ割付)=100,000 d.n
(10)バラート=チータ飼いの俸給50,000 d.n (11)バラート=犬飼いの俸給57,000 d.n
(12)バラート=馬・馬具管理所費用62,150 d.n (13)バラート=下賜61,000 d.n (14)バラート=義援と喜捨9,500 d.n
(15)バラート=厩舎係達の被服費90,000 d.n (16)バラート=フサイン・ベク麾下モンゴル軍のイクター 250,000 d.n
31
校訂ではparwāncha-yi fulānであるが、写本ではba-parwāncha-yi fulānと読みうる。
32
この一文のみでは文意が通らないが、Mにはこの前にAにはない以下のテキストがある。「バラートと受領書が書かれたら、再びハージャ・ジャマール・アッディーン・サラフスィーの[担当した]税収(jam‘)を異なる方法で閉じる(集計する)ことになる。そして、費用を前述のバラートに従い税収から差し引く。この支出は、通常経費のあとに来る。なぜなら、計算書の最初には[通常経費が]書かれているからである。税収から一定額を通常経費に支払い、そして残ったものを再び新たに集計し、その[バラートの]費用の資金とする。この偉大なる技術のクルアーン朗唱者は、計算書の計算と編集(‘aqd
wa basṭ-i
muḥāsabāt)に通じ、全州の税収をどのように集計し、支出をどのような方法で記録するかを知らねばならない。さて、私は州の税収を改めて集計するといっていたが、それが以下である」(M:
66–67)。続く用例は、請負終了後にディーワーンから徴税官に発行される精算書(mufāṣāt)に相当する。他の同時代の簿記術指南書における精算書の書式解説は、Sa‘ādat-nāma:
118–120; Jāmi‘ al-Ḥisāb: 40–42。
33 校訂ではal-ḥujja
al-mustajalla ‘an-huであるが、AとMではmustajaddaと読むことが可能であり(M:
67)、規定書用例では「彼からの新しい証書(al-ḥujja al-jadīda ‘an-hu)」となっていることを踏まえ(Hinz: 58)、al-ḥujja
al-mustajaddaと読む。
34
764年サファル月は、規定書用例の発行と同じ日付であり、本用例の徴税請負期間開始の翌月に当たる。また用例末尾には、徴税請負期間終了直後の765年ムハッラム月10日の日付がある。なぜ異なる2つの日付が冒頭と末尾にあるのか明らかではないが、精算書冒頭と規定書の日付の一致は、イル・ハン朝時代、しばしば精算書が徴税請負の開始に際し規定書と同時に発行されていたことを想起させる(Lambton
1986:
98)。この日付の書き方が正しいとすれば、ディーワーンは規定書と同時に同じ税収支規定を記載した未完成の精算書を発行し、徴税請負終了時の会計によりそれを完成させ、ディーワーンの署名と日付を入れ請負終了の証明として徴税担当者に発行していたと推測される。Mの当該用例の日付は冒頭・末尾ともに「871年ムハッラム月1日」となっており(M:
67)、精算書が徴税請負終了後に発行されるものだとすればより整合性があるが、同一文書で日付が2箇所に記載されるというのも奇妙である。写字生が日付の相違の意味を理解せずに改変した可能性もある。
35
校訂ではsharjとなっているが、Aにはjīmの点はない。Mの当該箇所は「規定書の帳簿に説明されている(dar daftar-i mu’āmara sharḥī
karda shud)」(M: 67)。
36
これ以降始まる支出の部の各項目に付された項目分類名は、帳簿の構成と一致していない。全支出(「これから差し引かれた」)が「通常経費」「特別経費」に二分され、「特別経費」の内訳として「イクター」「年俸」「俸給」「預託金」「馬の代金」「下賜」「義援」「被服費」の8項目が挙がっているが、項目分類名が付されていない「下賜」を除いて、いずれも「支出の対(qarīna-yi
mīmまたはqarīna-yi
maṣraf)に分類されている。「特別経費」とその下位項目である「イクター」に「支出の対」と同格の項目分類名が付され、その他の「特別経費」下位諸項目に最上位項目である全支出と同格の「支出の対」の項目分類名が付されているのは帳簿の構成からするとおかしいが、これが単に写本の誤りのためなのか、あるいは同一の項目分類名でも場所により異なる意味を持っているのかは不明である。Mにはこれらの項目分類名はない。
37 Aでは3,251,750
d.nであるが、これは計算が合わないので、校訂で訂正されている。Mでは正しく3,254,750 d.nである(M: 67)。
38
校訂では「命令(parwāncha)」であるが、AとMでは「命令により(bi-parwāncha)」と読むことができる(M: 68)。
39
Tājīk:本来、中央アジアに進軍・移住したアラブ・ムスリムを指す中世ペルシア語(近世ペルシア語のTāzī)であったが、中央アジアに南下したトルコ系の人々がイラン系の語彙を受容する過程でトルコ系に対するイラン系ムスリムを指す言葉となった。ガズナ朝からセルジューク朝期にはトルコ系遊牧支配者の下のイラン系の人々を意味する語として定着し、「トルコとタージーク」という対概念としてペルシア語史料に広く用いられるようになった(EIr,
“TAJIK. i. The Ethnonym: Origins and Application”;
『岩波イスラーム辞典』「タジク」)。13−14世紀モンゴル支配期には、「モンゴルとトルコとタージーク」などの表現でモンゴル人に対するイラン系被支配民をも意味するようになった(cf.
Dastūr al-Kātibの遺失物管理官bulārghūchī任命文書用例(Dastūr al-Kātib: III,
67, 70, 71; 本田 1991: 75–76))。
40 Mの該当箇所およびバラート用例ではKhwāja
‘Anbar(M: 68)。
41 Sulṭānīya:テヘランとタブリーズを結ぶ街道上の都市で、ザンジャーン手前約40kmに位置する。イル・ハン朝期、第8代ハン・オルジェイトゥがイラク・アジャム地方の夏営地コンクル・ウランQūnqūr-Ūlāngに建設し、首都とした(Nuzhat
al-Qulūb: 55–56; Krawulsky 1978: 315–316; 本田 1991: 343–356)。
42 Alanjaq:タブリーズのルードカーブ郡nāḥiya-yi
Rūdqābの1村(Nuzhat al-Qulūb: 55–56; Krawulsky 1978: 513–514)。Mではこの城塞名は登場しない(M:
68)。
43 Qahqaha:アルダビール西方の城塞(Hinz,
Indices: 8)。
44 判読不可。個別帳簿用例ではアラターグ城塞となっている(Hinz:
137)。Mではこの城塞名は登場しない(M: 68)。
45 校訂では「書状(kitāba)」であるが、同じ徴税請負記録を扱う個別帳簿(Hinz:
128–148)では「満たすこと(kifāya)」(Hinz:
137)であり、徴税請負人が自分の資力で不足分を補填したことを意味していると思われる(ただし個別帳簿では、徴税請負人の自腹による補填が行われているのはカフカハ城砦)。Mは3城砦のみ挙げ、スルターニーヤ城砦100,000
d.n、アラターグ城砦100,000 d.nとし、最後の城砦(無名)については「200,000
d.nであったので、この城砦についてはこの集計は空白にしておく」としている(M: 68)。
46 校訂では「500,000
d.nにおいて(fī 500,000
d.n)」となっているが、Aの該当箇所はfīではなくminと読むこともできる。Mの当該箇所の前置詞は「から(‘an)」(M: 68)。
47 ディーワーン長官達の年俸内訳の合計額は600,000
d.nであり、700,000 d.nと一致しない。Mでは大書記庁の年俸額が300,000 d.nであり合計700,000 d.nとなっているが(M:
69)、バラート用例の合計額は600,000 d.nである(M: 62)。
48 dīwān
al-ishrāf:財務の監督を担当する部局(Dastūr al-Kātib: III, 111–114; Lambton 1988:
60)。
49 dīwān-i ulugh
bitikchī:“Grossfinanzsekretär” (Hinz, Indices: 24);「大書記」(本田 1991:
659)。モンゴル支配期の初期においては、ワズィールに相当する位であったと思われる、オゴタイ・カンによりイラン高原に任命された最初のイラン総督チン・テムルChīn
Tīmūrのもと、バトゥ家からSharaf al-Dīn Khwārazmīがワズィールに任命されたが、彼は大書記とも呼ばれている(Tārīkh-i
Jahāngushāy: II, 223; Lambton 1988: 52–53; 本田 1991:
106–107)。イル・ハン朝期にも中央ディーワーンで大書記が任命されている例があるが(Tārīkh-i Mubārak-i Ghāzānī:
96)、そのワズィール・財務長官職との関係は明らかではない。ジャライル朝期の大書記職任命文書用例は、その職務が財政に関わることを示している(Dastūr
al-Kātib: III, 105–108)。
50 dīwān
al-naẓar:詳細は不明。Dastūr al-Kātibには全国の監督官職(niẓārat
al-mamālik)の任命文書用例が存在するが、その職務は監察官職(ishrāf al-mamālik)と重なっているところがある(Dastūr
al-Kātib: III, 111–114; Lambton 1988: 60)。
51 校訂では「20,000
d.n」が2行にわたり2回繰り返されているが、写本では1回のみである。
52 この「預託金」の項目は、AとMで書式が異なる。Aでは左右に配置されている「工房」と「財庫」の項目が、Mでは上下になっている(M:
69–70)。
53 校訂ではバラート(barāt)となっているが、同じ徴税請負記録を扱う個別帳簿の当該箇所およびMでは「代理(nuwwāb)」であり(Hinz:
140–142; M: 69)、こちらを採用した。
54 bayt
al-‘amal-i qal‘ī:“Hofzinnanstalt”(Hinz, Indices:
15)。語義的には「錫工房」となるが、しかし同じ徴税請負記録を扱う個別帳簿用例の当該箇所では細目に「綿と錦とミスカーリー亜麻布(nakhkhāt
wal-kamkhāwāt wal-mithqālī)」、「金糸刺繍(zardūzīya)」とあり(Hinz:
142)、織布に関わる工房であると思われる。Mの該当箇所および個別帳簿用例では「ダマスクスの(Dimashqī)」となっている(M:69, 102)。
55 校訂では200,000となっているが、AとMいずれも600,000
d.nであり(M: 69)、計算上も後者が正しい。
56 校訂では「200,000
d.nにおいて(fī 200,000
d.n)」となっているが、Aの該当箇所はfīではなくminと読むこともできる。Mの当該箇所の前置詞は「から(‘an)」(M: 70)。
57 Aおよび校訂ではbarawāt
al-awwalと複数形だが、Mと同じ徴税請負記録を扱う個別帳簿用例の当該箇所ではbarāt al-awwalと単数形である(M: 70, Hinz:
141)。項目左部に示されたズー・アルヒッジャ月2日付バラートを指す。
58
Marāgha:アゼルバイジャン地方を構成する1テュメンおよびその中心都市。タブリーズ以前のアゼルバイジャンの首邑(dār
al-mulk)であり、イル・ハン朝初期に首都の1つが置かれたと考えられ、初代イル・ハン、フレグHülegü(在位1258–65)の命でナスィール・アッディーン・トゥースィーにより天文台が建設された(Nuzhat
al-Qulūb: 75, 86–89; Krawulsky 1978: 536–537; 本田 1991: 359)。
59
Marand:アゼルバイジャン地方を構成する1テュメンおよびその中心都市(Nuzhat al-Qulūb: 87–88; Krawulsky
1978: 537)。
60
Nakhchiwān:アゼルバイジャン地方を構成する1テュメンおよびその中心都市(Nuzhat al-Qulūb: 89; Krawulsky
1978: 541)。
61
bayt al-rikāb:主に馬具や馬のための備品を扱っていることから、とりあえず馬具管理所と訳しておく。サファヴィー朝期の行政典範Tadhkirat
al-Mulūkにはrikābkhāna という部局が登場するが、それは君主のローブなどを管理する部局とされている(Tadhkirat
al-Mulūk: 68, 138)。
62
akhtāchī(aχtači):“Hofstallmeister” (Hinz, Indices: 14);「主馬頭」(村上 1970-76: I, 266;
本田 1991: 651)。
63 jamā‘at
al-A‘rāb:彼らの馬がbadawīyaと呼ばれていることからも、アラブ遊牧民と解釈できよう。Mの当該箇所はアラブ遊牧民を指す‘urbānである(M:
70)。
64 būz:駿足の馬(Lughat-nāma)。写本には識別点がないため、ブロンド馬(būr)とも読みうる。Mにはこの語はなく、「栗毛
(ashqar)」のみである(M: 70)。
65
ashqar:「kumaytとashqarの違いは、kumaytは鬣と尾が黒く、ashqarは赤いということである」(Murshid:
168a)。cf. Nawrūz-nāma: 75, n. 194。
66
qashqan:不明。Steingassによれば、馬の額の星をqashqaという。これを踏まえ「額に星がある」の意味に解釈しておく。Mにはこの語はない。
67
kurang:「黄色と金色の間の色を持つ馬」(Sukhan)。
68 qashqan
AB?A:不明。Mにはこの語はない。
69
kumayt:「体または鬣の色が赤く、尾が黒い馬」(Sukhan)。守川知子・稲葉穣によるNawrūz-nāma訳註では、馬の毛色に関するインドの『馬の書』の記述が引用されているが、それによればkumaytは「赤い毛色のうち黒に近く、たてがみと尾が黒」く、「すべての毛色のなかで最も良い」という(Nawrūz-nāma:
75, n. 194)。
70
kahar:「馬・らばの色が暗い赤であること」(Sukhan)。
71
ShRGhH:不明。Mにはこの語はない(M: 70)。
72
ḥablak:不明。ḥabl(綱)に指小辞-akがついたものと解釈し「小綱」としておく。Steingassによればḥablは馬の轡につける端綱の意味もある。Mではペルシア語でḥablgīrとなっている(M:
71)。
73
Tūqāt:ルーム地方の小都市(Krawulsky 1978: 415)。
74
sāghirī:靴等の原材料となる馬・ロバ等の臀部の革(Lughat-nāma,
Steingass)、コードバン革のこと。「臀革」と訳しておく。
75 Aでは400
d.nだが、合計金額が合わないため、校訂では修正されている。Mではここでの金額は1,000 d.n、1,000 d.n、1,200 d.nである(M: 71)。
76 校訂では
‘anānātまたは‘inānātであるが、Aに識別点はない。Mではペルシア語で「外套」(‘abā-hā)となっており(M:
71)、こちらの方が意味が通る。iṣṭablīyaの意味は不明だが、厩舎のなかで馬に着せる衣と推測し、「厩舎用の外套」と訳しておく。
77
校訂ではSRAYATだが、Mではペルシア語で「絹の総飾り(sharrāb-hā-yi abrīsham)」となっており(M: 71)、こちらを採用。
78
校訂では「ピン(sanjāq)」だが、AおよびMでは「縁飾り(sanjāf)」と読むことができるので(M: 64, 71)、こちらを採用。
79
校訂では「錦の縁飾りからなる(min sanjāf
kamkhā)」となっているが、同じ徴税請負記録を扱う個別帳簿用例の当該箇所では、「金糸を縫い込んだ革紐と緑の絹の総飾りと錦の縁飾りのついた」となっており(Hinz:
144)、minの語の意味を敢えて取る必要はないと判断。
80
afsārとは、革で作られ、馬などの頭部に着けて、紐をつけて厩の繋ぎ杭につなぐ道具(Lughat-nāma)。afsārにつける紐は「afsārの尾(dunbāla-yi
afsār)」という。以上からafsārは面繋のことと思われるが、sar-i afsārが何を示すのかは不明である。とりあえず「面繋」と訳しておく。
81
同じ徴税請負記録を扱う個別帳簿用例では「ダマスクス鎖付きの革紐」(Hinz: 145)。
82
muqanna‘またはmiqna‘と校訂された語は、MではMQL ‘またはMFL‘と読みうるが(M: 64, 71)、文脈的に適合した意味の語は見当たらない。
83
校訂では「命令(parwāncha)」だが、Aでは「命令による(ba-parwāncha)」。
84
Aのal-ṭabībが校訂では欠落。
85
このバラートの日付は断食明けの祭のあとであり、矛盾している。可能性としては、管財人マジュド・アッディーンが喜捨の費用を一時的に負担し、それが後にバラートにより支払われたということであろう。Mではラマダーン月29日となっており(M:
71)整合性があるが、Mは全体的に日付を(おそらく書写年代の同時代に近い)後代に設定し直しており、この箇所の日付も、整合性を持たせるために修正した可能性がある。
86
jāmagīyāt:“Löhnung”(Hinz, Indices: 17);「被服」(本田 1991:
654)。兵士に支給される衣服の代金であり、ペルシア語史料にはガズナ朝時代から登場する(Anwarī 1373kh:
91)。月毎に給付される費用であったことが分かる。
87
校訂では「/そのために(la-hu)」とされているが、Mでは「バラート(barāt)」となっており(M: 71)、それを採用。
88
厩舎1棟に付き1名の割で被服費を計算していると思われる。
89
校訂とAでは200 d.nで計算上矛盾するが、同じデータを扱う個別帳簿の該当箇所およびMでは600 d.nであり(Hinz: 146; M:
72)、それを採用。
90
qaṭārdār:qaṭārは1列につながれた駄獣の一団を指す(Sukhan)。qaṭār-dārはそのような駄獣を牽く役割の人物と考えられる。ここではラバのqaṭārであるため、ラバ牽きとする。次のラクダ牽きも同様。
91
amīn:“Obmann, Vertrauensmann; Beamter” (Hinz, Indices:
14)。amīn(原義は「信頼しうる」)の語が14世紀のイラン高原で特定の官職名であった形跡はないが、Dastūr al-Kātibでは、孤児の財産を管理する法廷の官吏がamīnと呼ばれている。また、文書庁官(inshā-yi
mamālik)、財務長官(istīfā-yi mamālik)、州の書記職(qalamī-yi
wilāyāt)などがamīnといいかえられており、一般的に文書・財務の担当者を指す語として用いられていたことがうかがわれる(Dastūr
al-Kātib: III, 98, 118, 165, 239)。ここでは、州財政の官吏達を指していると思われる。
92
istiẓhārは表明、あるいは助力を求めることを意味するが(Hans
Wehr)、ここでは徴税請負人が義務を履行したことを証明する必要がある場合、それを保証する役割をこの文書が示すという意味を汲み、「証明」と訳す。
93
校訂ではli-Hijrīyaとなっているが、Aではal-Hijrīyaである。
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